俺が虎に襲われた時の話

 

私は過去に様々なアルバイトを経験しており、その中のひとつに「動物園のショップ店員」というものがあった。

 

千葉市内にあるとある動物園のお土産ショップ。顔をあげればハシビロコウとゼロ距離で目が合うほど開放的な店内で、私はレジから金を盗みながら日銭を稼いでいた。

 

「すみません、彼女に似合う動物のぬいぐるみありますか?」と私に問う客がいれば、

「そうですね、これでもとっときな!!!!!」

と店奥に待機させてたヒグマを呼び出し、強烈なパンチを食らわせる。

私はこうしてヒグマと共に神のお告げのもとにショップに訪れるカップルを殴り殺していた。そんな日々だった。

 

そしてある日、休園日にも関わらず私はショップに呼び出された。どうやら休園日を利用して、虎が園内に逃げ出した際の避難訓練をするようだ。

 

しかし虎が逃げ出してもトラをトラえるのは飼育員の役目なので、私達ショップ店員の役割は、カップルをうまく餌にしつつ家族連れや小さな子供を避難誘導することである。

 

そしてブザーが園内に鳴り響き、訓練が開始された。

「お知らせいたします。ただいま園内にアムールトラが逃げ出しました。」のアナウンスと共に、私たちは屋外に出向き配置についた。

 

私の担当エリアは虎の檻にかなり近いシマウマエリアの前だった。近くに他の人間はおらず、私はポツンと1人、次の展開を待っていた。

 

しかし、トラが逃げた想定の訓練とはいえ、もちろん本物のトラを放つわけはない。一体どうやって捕獲訓練をするのだろう?と考えていると、後方で突然数人の叫び声がこっちに向かってきた。

 

「トラがシマウマ舎に行ったぞ〜!!!!」

 

シマウマ舎かぁ〜…。

ん?

シマウマ舎って…。

ここざゃん!!!

シマウマ舎ってここじゃん!!!

 

慌てて後ろを振り返ると、

二足歩行のトラの着ぐるみが猛ダッシュでこちらに向かってきていた。

 

いや、着ぐるみか〜〜〜〜い!!!!!

めちゃくちゃシュールだった。

 

というかそんなこと思っている場合ではない。

トラは真っ直ぐに私に向かってきている。このままでは間違いなく私はあのトラに童貞を奪われる。

 

避難誘導の仕方は教わったが、実際に虎に襲われた時の対処など聞いていない。

私はマジでテンパった。どうしよう。トラはもう私から10m程の距離にまで迫っている。

しかし怖い。これを読んでいる皆さんは、トラの着ぐるみに猛ダッシュで追いかけられたことがあるだろうか?

ないなら知っておいた方がいい。めちゃくちゃ怖いぞ。

 

テンパってテンパった私だったが、避難誘導をするという使命感は残っていた。

その結果私の口から出た精一杯のセリフは、

 

「みなさん!!!!トトトト、ト、トラでぇ〜〜〜す!!!!!!!」

 

だった。

 

そんなことは見ればわかる。

バスガイドじゃねえんだから。

 

結果どうすることも出来ず、私は飛びかかってきたトラに組み伏せられた。

トラって寝技使うのかよ。

 

そして私が襲われている間にトラはトラえられ、私という尊い犠牲を1人出し、第1次訓練が一段落した。そして違ったシチュエーションでの訓練を何度か繰り返し、訓練全体が終了した。

 

後で話を聞くと、リアリティを追求するあまりテンションがバグった着ぐるみの人が勢い余って私を襲ってしまったそうだった。

 

次の日から私の2つ名が「被食者」になった。

 

まあ、そんな感じです。

今思えば貴重な経験をしたと思っている。

 

 

 

 

ドラムを叩く、ナガサキ

私がドラムを叩き始めたのは、高校2年生の春のことだった。

 

当時の私は現在も一緒にバンド活動をしている同級生のホイミこと保井実(やすいみのり)と2人組弾き語りユニットを組んでいたのだが、やっぱバンド体制の方がやりやすいよね、となってキーボードのフジタを加え、私がドラムを担当することになった。そしてこれが、私のドラマーとしての経歴の始まりだった。

 

だが最初はドラムの勝手など何も分からず、地元の近所の「牛舎8号」という観光牧場の片隅に、半ば粗大ゴミのように放置されていたボロボロのドラムセットを、責任者の方に頼み込んで使わせてもらっていた。

 

山奥の牧場の片隅でひとり、私はエイトビートが叩けるようになった喜びや、スティックが手に馴染んでいく感覚を噛み締めていた。私の初めてのオーディエンスは人間ではなく、牛や馬だったのだ。

そしてその馬の中の1匹が、今も「ウマ娘」で話題を呼んでいる「ハルウララ」だったということは当時の私は知る由もない。

 

そして高校2年生の秋、バンドメンバー3人で入った千葉のスタジオで、「師匠」に出会った。

 

現在は「む○○○む」(一応名前は伏せておく)という名前でドラマー活動をしているが、当時の師匠はドラムスクールで講師をしながら、我々の通う小さなスタジオで働くアルバイトだった。

しばらく通っているうちにいつの間にかホイミと師匠が仲良くなり、そしてその流れで、頼んでもいないのに私にドラムのいろはを勝手に教えてくるようになった。

「師匠と呼べ」・とか、「次来るまでにこれをできるようになってこい」とか、非常に図々しい人だったが、人当たりとドラムの腕前はやたらといい為、大人しく師匠と呼ぶことにした。

 

そして何度かのライブを乗り越え、ようやく私は師匠に「ドラマー」と名乗ることを許されたのだった。わざわざスタジオで「半人前」の戴冠式まで行ったのを覚えている。高校2年生も終わり、3年生になろうかという時期だった。

 

そして私が受験期に入りスタジオに入ることは少なくなったが、師匠との交流は続いていた。やはり一応年上なので、受験の悩みを千葉駅のスタバで何度も吐露し、そして師匠は彼氏ができない悩みを年下の私とホイミに吐露していた。

 

そしてそれから3年以上が経過した2022年現在、無事大学に合格した私のドラム歴も4年となり、師匠は結婚して娘をもうけた。おめでたい。

 

このコロナ禍でライブこそ出来ないものの、コロナ終息後のライブ再開に向けて、休止していたバンド活動を少しづつ再開し始めた次第だ。

 

バンドメンバーのホイミ、フジタ、そして師匠は私の親友といっても差し支えないかもしれない。

 

まあ、そんな感じです。

 

一人称

私は普段、「一人称が変わってるね」と「変わった喋り方するね」って言われることが多いんですよ。

 

マジで自慢とかじゃないんですけど、自分自身、文章力とかトーク力とか、日本語を扱うことに関しては割と長けていると思っているんですよ。

まあこういう風にブログも3年間続けてるぐらいだしね。

でもまあこう長く公衆の面前に文章をさらしてたり、まああるいは普段の日常生活で人と会話している時だったり、そういう時に、さっきも言いましたけど「変わった喋り方するね」って言われるんですよね。

 

そう〜でしょうそうでしょう!!!

 

私はそもそも、男性の割に「私」とか「わたくし」っていう一人称を積極的に使おうと意識して生きているんですよ。

過去のブログとか見てもらえるとわかりますけど、一人称はほとんど「私」だと思います。

ブログだけじゃないんですよ。私と直接喋る機会がある人はなんとなくわかると思いますが、私は日常会話でも「私」っていう一人称がポロポロ出てます。

 

使用頻度の比率でいえば、

「僕:俺:私=2:4:4」ぐらいですかね。

「俺」と同じぐらい「私」を使ってると思います。随分長いことこんな感じなので、ほとんど無意識に「私」と「俺」を使い分けてますね。

 

しかしなぜ、私が「私」っていう一人称を使うのか。その理由、気になりますよね〜〜!!!??

 

教えて差しあげましょう。

 

ズバリ、

二宮和也大泉洋の喋り方に憧れてるから」ですよね。

 

二宮和也さんって割と「私」っていう一人称使いませんか?そのうえ「わたくしこう思うわけですよ。どうですか大野さん?」みたいな、ちょっと芝居がかった喋り方しますよね?けど突然「○○じゃねぇ〜だろ!!!」みたいに乱暴な口調になったりね。そういう緩急のある喋り方ってすげ〜いいな〜って思った訳ですよ。高校時代とかにね。

 

そもそもそれ以前にも喋り方を意識するようになったきっかけっていうのもあるんですよ。私は父が道民なんですけど、北海道独特の喋り方をするんですよね。そして私も知らず知らずのうちにそれがうつってる。それで中学だか高校の時に、先生に「お前大泉洋みたいな喋り方するな」って言われたんですよ。まあ大泉洋も道民だしね。多少なりイントネーションに共通してる部分があるのかもしれないですけど。

 

大泉さんの喋り方も好きなんですよね〜。私「水曜どうでしょう」がめちゃくちゃ好きでよく見てたんですけど、結構あの人「ぼかぁねぇ、そんなことはしたくないんだよォ、ええ?そうだろう?」みたいな、これまた芝居がかった喋り方するんですよ。彼の喋り方も好きなんですよね〜。

 

そういったきっかけもあったり、二宮和也さんと大泉さんへの憧れもあったりして、お二人の喋り方を真似、というか、似たような喋り方を意識してた時があったんですよ。正直今思えば痛いなあ…とは思うんですけど、続けているうちに上手い具合に自分の中でその喋り方を咀嚼できたというか、自分なりの喋り方に落とし込めたんですよね。

 

それが私の「私」という一人称と、独特な、少し女性的な喋り方のルーツでした。

 

まあ、そんな感じです。

案外このしゃべり方は人ウケがいいので、個人的には良かったなと思ってます。

人見知り

私は人見知りだったんですよね。

 

「だった」というのはつまり現在の私は人見知りではないということになるんですけど、

 

なんなんでしょうね。人見知りをしなくなったのはいつからなんだろう。

元々人見知りだったとはいえ、私はちょっと変わったタイプの人見知りだったんですよ。

道端で知人を見かけても全然自分からしゃべりかけるし、初対面の人とも、さも10年来の友人かのように喋れるんですけど、それは「仲良し度低い人用」の自分なんですよね。

パッと見全然人見知りなんかしてるようには見えないんですけど、本当に仲良い人とは明らかに違う対応をしてるんですよ。

仲良くなればなるほど、私はその人に対しての対応がずさんになっていきます。まあ気を許してるということですよね。

そういう意味での人見知りだったんですよ。

 

そういうこともあって以前は自己紹介する時に「人見知りです」って枕詞のように名乗ってたんですけど、いつからかそれをやめてから、その人見知りも気づかないうちになくなっていったんですよ。

 

なんでだろ?いつの間に?ってずっと思ってたんですけど

最近読んだ星野源のエッセイにその答えが書いてあったんですよ。

以下、引用です。

ある日、ラジオ番組のゲストに出た時「人見知りなんです」と自分のことを説明していることに、ふと恥ずかしさを覚えた。それがさも病気かのように、どうしようもない事のように語っている自分に少し苛立ちを感じた。

 

それまで、相手に好かれたい、嫌われたくないという思いが強すぎて、コミュニケーションをとることを放棄していた。コミュニケーションに失敗し、そこで人間関係を学び、成長する努力を怠っていた。

 

それを相手に「人見知り」とさも被害者のように言うのは、「自分はコミュニケーションを取る努力をしない人間なので、そちらで気を使ってください」と恐ろしく恥ずかしい宣言をしていることと同じだと思った。

 

引用元:「いのちの車窓から」著・星野源

 

 

マジでコレなんですよ!!!

ほんとに星野源はいつも俺に答えをくれる…。

そうなんスよね〜。

「人見知りです」って宣言するということは、

「自分はコミュニケーションが下手なんでぜひそっちから歩み寄ってください」って言ってるのと同じなんですよ。本当は仲良くしたい癖にそのプロセスを全部相手に丸投げしてるというか。めちゃくちゃずるいですよね!

 

多分私が人見知りだと名乗ることをやめたのも、無自覚のうちにそれに何となく気づいていたからなんでしょうね。

 

以前「ひとり」という記事でも書いたんですけど、私はひとりでいることが大好きで、必要以上にひとりになりすぎることが多いんですよね。

ただありがたいことに最近、人との繋がりを切に感じる出来事や、あるいはそう感じる言葉をかけて貰う機会が多くあり、結局「ひとりではないということ」に気づいたんですよね。

孤独でいることも必要だけど、結局何事もやりすぎは良くないというか、いい塩梅を探すのが大事って事っスよね。

 

まあ、そんな感じです。

あれ?なんか思ってた着地点と違う、けどまあいいや。

 

 

おっさん

「おっさん」…。

 

「おっさん」…「おっさん」…。

 

…。

 

やだよお〜〜!!!!

おっさんになりたくないよお〜!!!

 

マジで人生っておっさんの期間長すぎませんか!?!?!!これからの人生の半分ぐらいおっさんでいなきゃいけないんですよ!!!!やだあ〜!

 

女性のみなさん、もし今、突然神様が現れて、「あなたを今からおっさんにします」って言われたら、めちゃくちゃ嫌でしょ!?!?

そういう夢見たら夢でよかったと思うでしょ!?

 

私はそれが現実なんですよ!!!!

 

確実におっさんにはされるんですよ!!!!(おっさんにされるって何?)

やだ〜!!!!夢であってくれ、神様ーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!

 

マジでおっさんになりたくないなあ〜…。と最近、以前にも増して思うようになったんですよ!!!!!!

 

なぜそう感じるようになったと言うと、今まで10代の頃にはなかった体の不調が顕著にあらわれるようになったからなんですよね。

 

食えると思って頼んだ大盛りがまったく胃袋に入らなかったり、寝ても昨日の疲れが取れなかったりね。

この間自分の唾液でむせた時はマジでゾッとしましたね〜…。

とはいえまだ21なんでそりゃもっと年上の人とかと比べたら全然たいしたことないんでしょうけど、だからこそ怖いんですよ!!!

え!?この不調がもっとひどくなるの!?!?うそでしょ!?!?マジで!?

 

私は基本このブログを電車で書くことが多くて、実際今電車の中でおっさんに包囲されながら、(以下、『おっさん包囲網』とする)この文章を書いてるんですけど、急にこのおっさん包囲網が偉大なものに見えてきました。これ以上の体の不調を抱えながらもハゲ散らかした頭を抱えて日々生きてる猛者なんだな…この人たちは…。正直尊敬します。

 

でもそれとこれとは別です。私はおっさんになりたくない。

どういうわけかおっさんは社会から嫌われてしまう生き物なんですよ。JKとぶつかれば舌打ちをされ、娘には洗濯物を一緒に洗わないでと憎まれ口を叩かれ、テレビを見て笑ったら黙れと言われ、臭くないのに臭いと言われ、ハゲてないのにハゲと言われる。(ただし、本当にハゲている場合もある)。

 

まあ、ハゲに関しては認めたくないのも分かります。

 

実際、私の姉が父(ハゲ)と喧嘩して勘当された時、姉の捨て台詞が「もう知るか!このハゲ!」だったのに対して父は「ハゲてねえよっ!!!」でした。

その時その場にいた私や兄妹や母は全員心の中で「「ハゲてんじゃん!!!!!」」ってツッコミ入れてましたけど、そんなこと言える雰囲気じゃなかったから言いませんでした。実際めちゃくちゃハゲてるしね。

 

話が逸れましたけど!

とにかく絶対に嫌なんですよ!!!!!!おっさんになりたくない!!!!!!

 

いわゆる「イケオジ」になれる人なんて本当にひと握りで、大抵の男はもれなくおっさんになるんですよ。

ある日突然おっさんになる人間なんていないわけですよ。じわじわじわじわとおっさんになっていくんです。

 

やだ〜やだな〜!!!!こうしている今この瞬間にもわたしの体は刻一刻とおっさんになっていってるんですよ。

間違いなく、「若者」と「おっさん」の間のグラデーションの上にもうたっちゃってるんですよ。

きっと明日はもっとおっさんなんだろうな…。ね、ハム太郎…??

 

まあ、そんな感じです…。

おっさんになった私でも愛してください。

 

 

 

 

迂闊に中指を立てる人

マジで「「「嫌い」」」なんですよ!!!!!!!

 

そういうの見る度に、意味わかってやってんのかなって思っちゃいます。

 

日常生活を送ってると、特に若者ですけど会話の最中に中指を立てるヤツとかいるんですよ。

マジで「正気か!?」って思っちゃいますね。え?どういうつもりでやってんの?冗談だとしても趣味が悪い。

意味わかってやってんの?いや、意味わかってやってるとしたらめちゃくちゃタチが悪いので、多分分かってないと思うんですけど。

 

特に驚くのが、SNSでそれを見ちゃった時ですよね。インスタのストーリーとかで、カメラを向けられた瞬間に中指立ててるやつとかいるんですよ。

はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!????

 

口が悪くて本当に申し訳ないんですけど、正直、バカじゃねえの、って思っちゃうんですよね…。

 

カメラを向けられて咄嗟に出てくるポーズがそれか…。なんか、こっちが虚しくなっちゃうんですよね。中指を立てることで社会に対してちょっと斜に構えたつもりでいるその人の底の浅さが分かっちゃうっていうか、お里が知れちゃうっていうか…。

 

とにかくね、私の見えないとこでは好きにすりゃいいですけど、SNSにはあげるなっつってんですよ。見ていてちょっと気分の良いものじゃないじゃないですか。やっぱりね。

 

まあさっきも言いましたけど、その行為の意味わかってやってないんでしょうね。

 

というか、きっと中指を立てることで酷い目に遭ったことがないからそういうことが出来るんだと思うんです。

 

どうせここは世界一安全な国日本ですから。そりゃ中指立てたって大したことにはならないでしょうよ。だからこそダサさが際立っちゃうんですよね…。だって欧米で同じことできますか?できないでしょ。だって下手したら死んじゃいますからね。

安全な場所でイキって中指立てるからダサいんですよ。アメリカの無法地帯で堂々と中指立てる日本人の若者がいたらすげえなと思いますよ。まあ軽蔑はするけど。

 

私だって別に中指を立てることで酷い目に遭ったことがあるわけじゃないですけど、そもそも中指なんて立てたことないですけど、そんなことしなくたって中指立てることが色々な意味でやっちゃいけないことだってことぐらいちょっと考えりゃ分かりますよ。

だからこそ中指立てる人の神経を疑っちゃうんですよね。ちょっと考えることすらしてないでしょ。

 

 

っていう感じです。

出来れば今後二度と見たくないですね。だからSNSにはあげないでくださいね。下品なので。嫌です。

 

まあ、そんな感じです。

 

最近ブログで落ち込んだり怒ってばっかりなので、いい加減元の馬鹿みたいな記事に戻そうと思います。

 

 

オタクに恋は難しい

以前「ひとり」という記事でも語った事があるんですけど、私は1人の時間がハチャメチャに好きなんですよ。

基本人間の悩みって「お金」か「人間関係」しかなくないですか?それ以外の悩みってあります?あったとしても必ずその2つは大小問わずどこかで絡んで来るんですよ。

 

マジで人間関係って疲れちゃう時あるんですよね…。恋愛とか絡んでくると特にね。

 

少し話は変わりますが、

基本的に私は自分自身のことをめちゃくちゃ冷たい人間だと評価しているんですね。

自分至上主義なので、他人に興味が無いんですよ。だから人が困ってようが悩んでようが基本どうでもいいんですよね。でも放っておいたらおいたで罪悪感に苛まれるのが嫌なんで助けたりするんですけど…。結局自分可愛さ故の人助けなんで動機がすごい不純なんですよ。

 

だからこういう私みたいな他人に興味がないタイプの人間は恋愛にも基本的に向いてないですね。

これもブログで度々語ってることですけど、「人を好きになる」っていう感情がマジでわかんなすぎて、恋愛してる人を素直に尊敬しちゃうんですよね。

私はバカだから恋愛を理屈で考えちゃうことが多くて、結果この人いいな〜恋愛したいな〜って人がたまに現れても「いや、告白したり付き合ったり…って色々考えるとなんかめんどくせえな」って「めんどくささ」が圧倒的に勝っちゃうんですよ。

それで結局最初の「この人いいな」っていう初期衝動ごと記憶から抹消して、なかったことにしちゃう。ホントにわけわかんないですね、こう文章にすると。意味わかんねえな。

 

でも流石に私は現在21歳、今年なんと22歳になっちゃうので、恋愛とかあるいは結婚とかそういうことを年齢的にも考えなきゃいけないし、考えざるを得ない状況も度々訪れるわけです。

 

マジで自慢じゃないので怒らないで聞いて欲しいんですけど、ぶっちゃけ私はモテない訳じゃないんですよ。別にイケメンだとかそういうのではないんですけど、基本的に大学とかでは「人当たりがよくユーモアのある良い奴」っていう設定で猫かぶって生きているので、ありがたいことに私のそういう一面に惹かれて頂くことも何度か…。

でもそれは私の外ヅラの一面でしかないので、私はその度に「申し訳ないけど私は本当は冷たい人間なので」という感じの説明をしているんですよ。

 

別にモテるならモテるでいいじゃんとは思いますよ。わざわざ自分が冷たい人間だなんて告白する必要も絶対無いんですよ。ただ私にはホントに謎の真面目さというか正義感があってそうせずにはいられないんですよね…。ホントなんでだろ?マジでバカだなとは思います。

「人当たりがよくユーモアのある良い奴」の長崎に惹かれてくれたわけだから、「冷たい人間」である長崎を見せる訳にはいかないと思っちゃうんですよね。

 

は〜なんかめんどくせえな、この文章書くのももう面倒くさい。終わります。

たま〜にこうして人間関係が面倒くさくなる瞬間があって、言語化することでどうにかそのストレスを発散しなきゃいけないんですよね。我ながら変な人間だなと思います。その自覚症状があるだけまだマシだと思いますけどね。ヤジロベーみたいな正しさの中で生きてます。

 

まあ、そんな感じです。