人見知り

私は人見知りだったんですよね。

 

「だった」というのはつまり現在の私は人見知りではないということになるんですけど、

 

なんなんでしょうね。人見知りをしなくなったのはいつからなんだろう。

元々人見知りだったとはいえ、私はちょっと変わったタイプの人見知りだったんですよ。

道端で知人を見かけても全然自分からしゃべりかけるし、初対面の人とも、さも10年来の友人かのように喋れるんですけど、それは「仲良し度低い人用」の自分なんですよね。

パッと見全然人見知りなんかしてるようには見えないんですけど、本当に仲良い人とは明らかに違う対応をしてるんですよ。

仲良くなればなるほど、私はその人に対しての対応がずさんになっていきます。まあ気を許してるということですよね。

そういう意味での人見知りだったんですよ。

 

そういうこともあって以前は自己紹介する時に「人見知りです」って枕詞のように名乗ってたんですけど、いつからかそれをやめてから、その人見知りも気づかないうちになくなっていったんですよ。

 

なんでだろ?いつの間に?ってずっと思ってたんですけど

最近読んだ星野源のエッセイにその答えが書いてあったんですよ。

以下、引用です。

ある日、ラジオ番組のゲストに出た時「人見知りなんです」と自分のことを説明していることに、ふと恥ずかしさを覚えた。それがさも病気かのように、どうしようもない事のように語っている自分に少し苛立ちを感じた。

 

それまで、相手に好かれたい、嫌われたくないという思いが強すぎて、コミュニケーションをとることを放棄していた。コミュニケーションに失敗し、そこで人間関係を学び、成長する努力を怠っていた。

 

それを相手に「人見知り」とさも被害者のように言うのは、「自分はコミュニケーションを取る努力をしない人間なので、そちらで気を使ってください」と恐ろしく恥ずかしい宣言をしていることと同じだと思った。

 

引用元:「いのちの車窓から」著・星野源

 

 

マジでコレなんですよ!!!

ほんとに星野源はいつも俺に答えをくれる…。

そうなんスよね〜。

「人見知りです」って宣言するということは、

「自分はコミュニケーションが下手なんでぜひそっちから歩み寄ってください」って言ってるのと同じなんですよ。本当は仲良くしたい癖にそのプロセスを全部相手に丸投げしてるというか。めちゃくちゃずるいですよね!

 

多分私が人見知りだと名乗ることをやめたのも、無自覚のうちにそれに何となく気づいていたからなんでしょうね。

 

以前「ひとり」という記事でも書いたんですけど、私はひとりでいることが大好きで、必要以上にひとりになりすぎることが多いんですよね。

ただありがたいことに最近、人との繋がりを切に感じる出来事や、あるいはそう感じる言葉をかけて貰う機会が多くあり、結局「ひとりではないということ」に気づいたんですよね。

孤独でいることも必要だけど、結局何事もやりすぎは良くないというか、いい塩梅を探すのが大事って事っスよね。

 

まあ、そんな感じです。

あれ?なんか思ってた着地点と違う、けどまあいいや。